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# by gu3i | 2010-05-02 00:35 | memo
『ヴィーコ 学問の起源へ』/中央公論新書
「アダムよ、お前にはどんな特定の場所もどんな生得の形貌もどんな特別の才能もあたえないから、どんな場所でも、どんな形貌でも、どんな才能でも、おまえ自身の好きなように選びとるがよい」
ルネサンス期のプラトン主義者ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ『人間の尊厳(位階)について(1486年)』

///

愚者の自己自身との闘いは、愛情と憎悪、歓喜と苦悩が交互に立ち現れては消え去っていくなかにあって、休まるところを知らない。そして、自己との闘いに敗れると、愚者は理性の国を追われ、最後には、身体という「暗闇に包まれた牢獄」に幽閉されて、さながら獣のごとく、運命の支配に服さねばならなくなる。だからこそ、わたしたちは従おうではないか、わたしたちの自然本性に。「各人が終始一貫して自己のもとにあるよう命じている自然の法」に。
「それは容易である。というのも、それは生来のことであるから。それは恵み深い。というのもそれは自然のことであるから。」(ヴィーコ)

///

クリティカとトピカ

「今日ではクリティカのみが称揚されている。トピカは先に置かれるどころか、まったく無視されている。これまた不都合なことにも。というのも、論点の発見が、ことがらの本性からして、その真理性の判断に先立つように、教授法においてもトピカはクリティカに先立たねばならねばならないからである。」
 ヴィーコによると、知性の発達には「自然な流れ」というものがあるのであって、学習の順序もこの流れにそって立てられなければならない。そして、この知性の発達の「自然な流れ」にそった学習の順序ということでは、古代ギリシア人の人達はなかなか道理にかなった行き方をしていた。というのも、かれらは幾何学を「子供達の論理学」であると考えて、この学問を「自然の向かうところに従っていた医師たちに見倣って」青少年を理性の行使へと慣らしていこうとしていたからである。
 ところが新時代のデカルト主義的学問方法にあっては、このような知性の発達の「自然な流れ」にそった学習の順序を無視して、一足飛びにクリティカが教授されている。このような行き方は、提起された問題の全体を十分に見てとる前から、正しい判断をくだせ、と命じるようなものであって、知性の青春を枯渇させてしまうに等しいと言わざるを得ないのではないか、とヴィーコは見るのである。
# by gu3i | 2010-04-02 11:42 | memo
メモ
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Shadow and Light by Front for Porro
School in Chimundo by Bergen School
of Architecture
# by gu3i | 2010-04-02 11:36 | memo
# by gu3i | 2010-03-01 00:08 | memo
penguin
http://ototoy.jp/search/index.php?KW=penguin2009
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///

http://kemukujara.net/artworks.php
# by gu3i | 2010-02-28 22:08 | music
近影
# by gu3i | 2010-02-28 21:21 | memo
夜に沈んでいる。ときおり首うなだれて思いに沈むように、まさにそのように夜に沈んでいる。家で、安全なベッドの中で、安全な屋根の下で、寝台の上で手足をのばし、あるいは丸まって、シーツにくるまれ、毛布をのせて眠っているとしても、それはたわいのない見せかけだ。無邪気な自己欺瞞というものだ。実際は、はるか昔と同じように、またその後とも同じように、荒涼とした野にいる。粗末なテントにいる。見わたすかぎり人また人、軍団であり、同族である。冷ややかな空の下、冷たい大地の上に、かつていた所に投げ出され、腕に額をのせ、顔を地面に向けて、すやすやと眠っている。だがおまえは目覚めている。おまえは見張りの一人、薪の山から燃えさかる火をかかげて打ち振りながら次の見張りを探している。なぜおまえは目覚めているのだ?誰かが目覚めていなくてはならないからだ。誰かがここにいなくてはならない。
(夜に/カフカ短篇集/ 池内紀編訳)
# by gu3i | 2009-12-27 21:03 | memo
spider 蜘蛛
http://www.flickr.com/photos/opoterser/sets/72157614567127550/
http://www.flickr.com/photos/29412527@N04/
http://www.flickr.com/photos/opoterser/page2/

くもがこんなにきれいだなんて
# by gu3i | 2009-12-15 23:13 | memo
Life’s First Spark Re-Created in the Laboratory
RNAの前駆物質の合成に成功。
水と光と熱に晒された泥からRNAの前駆物質だって。。。

どっかで聞いたような状況。

///

http://www.wired.com/wiredscience/2009/05/ribonucleotides/

「化学変化は単純な前駆物質からのほうがとても効率的に働き、それに必要とされたコンディションは人々が想像するような初期の地球での出来事と、そう違わない。」

他のヌクレオチド合成チームと同じようにサザーランドのチームもリン酸塩を混合物に含ませたが、それに糖やヌクレオベースを加えるという方法は選ばず、彼らはもっとシンプルな、おそらく地球の原始の泥にも含まれていたであろう分子の群から始めた。

彼らは水の中で分子を混ぜ、溶液を熱し、これを蒸発させ、そして混合残留物、糖やヌクレオベースの出来損ないの分子を取り出す。彼らはこの残留物に再び水を加え、熱し、蒸発させ、光にあてる。

各サイクルの過程で、取り出される分子はだんだん複雑になっていく。最後の段階で、サザーランドの研究チームはリン酸塩(phosphate)を加えた。
「驚くべきことに、それはリボヌクレオチドに変化したんだ!」
"Remarkably, it transformed into the ribonucleotide!"
とサザーランドは語った。

サザーランドによると、チャールズ・ダーウィンが生命の起源は「温かくて小さな池"warm little pond"」だと仮説を立てたが、その池が「蒸発したり、熱されたり、雨に降られたり、太陽が照りつけられたり」しているものであれば、研究室のコンディションと非常によく似かよっているという。

そのようなコンディションはそれらしく思える、そしてスゾスタクは蒸発と加熱と濃縮のサイクルの中で、「次なるRNA合成のステップに備えた素材のリザーバー(貯蔵地)として、堆積していく一種の有機的な"雪"のようなもの」が生みだされて行ったのではないかと想像している。


Citations: Synthetis of activated pyrimidine ribonucleotides in prebiotically plausible conditions
Matthew W. Powner, Beatrice Gerland & John D. Sutherland. Nature, Vol. 460, May 13, 2009

"Systems chemistry on early Earth." By Jack W. Szostak. Nature, Vol, May 13, 2009
# by gu3i | 2009-12-15 22:10 | memo
# by gu3i | 2009-12-11 04:32 | memo
漁り
http://fat-cat.co.uk/fatcat/release.php?id=307

http://fat-cat.co.uk/fatcat/release.php?id=248
http://www.dokidoki.fr/doki03/index.htm
http://naturebliss.jp/NB_hp_mp3/05_wasurenai.mp3
http://www.myspace.com/aokitakamasa
http://www.aokitakamasa.com/indexes/index.sounds.html
http://www.alvanoto.com/?a1=audio

http://www.myspace.com/ryojiikeda
# by gu3i | 2009-12-11 04:13 | music
ルイス・バラガン Luis Barragán

///
「平穏を表現していない建築はあやまりです。ですから、今日壁によって保護する代わりに、大きな窓が開放されているのは間違いなのです。」1930頃 ルイス・バラガン 建築についてのステートメント
「モロッコの家々では、どこで地面が終わるのか、建築がどこまでなのかわからない。つまり建物が、地球の一部になっているということだ。」 1952-53 モロッコ旅行
「私は『感情的建築』というものを信じています。建築は人にとってその美しさによって心動かされるものであるということが非常に大事なのです。」「使い手に美や感情のメッセージを伝えるもの、それが建築なのです。」1976 MoMA展覧会カタログ
「宗教と神話」「美」「沈黙」「孤独」「平穏」「喜び」「死」「庭」「噴水」「建築」「見るすべ」1980 プリツカー賞スピーチ文
# by gu3i | 2009-12-06 23:53 | memo
骨盤
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2009CuratorialGraffiti_slideshow.html

ふたつの頭骸骨と対面する。男と女、古いもの。
奥に縄文人の骨が陳列してある。
東京大学博物館の「鉄」展(無料)を観に行ったついでにお目にかったものだけれど、随分考えさせられた。

子どものもの、胎児のもの、若い女性のもの、中年男性のもの。頭蓋骨、頸骨、肋骨、骨盤、大腿骨、そして足先指先の骨、歯、いろんな人のいろんな骨がきれいにならべてあった。
何となく今の人よりもあごの作りが頑丈で強そうな感じがする。縄文人の背は低かったらしいが、何だか作りががっしりしているので小さいという感じがあまりしない。

さらに奥に行くと、「ラミダス」のレプリカが飾ってある。
ラミダスというのは1992年にエチオピアで発掘された、「アウストラロピテクス以前」の人類祖先とされる化石。それの発見によって、教科書の「人類」の出現が100万年強ほど早まったらしい(そういうことが起こるということは知ってはいるものの、あらためて歴史とはえらくダイナミックに書き換えられるものなのだなあと感心。まだまださかのぼる可能性はある)。その重要な証拠となったのがラミダスの「骨盤」だ。それは化石の主が二足歩行をしていたか否かを分かりやすく示してくれる。骨盤(レプリカ)のはいったショーケースは、宝石でもはいっているかのようにライトアップされていた。(本物はエチオピアの国宝として厳重に地下金庫にしまわれているそう。)

二足歩行で立つ、ということ。それは「手」が生まれるということだ。
博物館の人はそれで他の動物と間に生まれた一番の違いは、「ものを運ぶ」ということだというような話をしていた。

それで少しピンと来た。

ヒトだけでなく、鳥やカワウソもものを運ぶし、環境を構築するためにものを運ぶ。ただ、少量ずつだ。
ヒトが出産をしづらくするというリスクを背負ってまで、骨盤をタイトに絞って二足歩行によって得た「手」によって、環境の構築の量、そしてスピードが他の動物と較べ、段違いに上がった。
ヒトと動物との違いとは?という問いに対しての答えで、道具の使用とか火の使用とか、そう言うのも分かるのだけれど、それらが今ひとつピンとこなかったのは、それらは何となく「結果であって原因じゃない」という感じがしていたためだ。もっと要素を絞ってスマートに答えられるんじゃないかと。

「運ぶ」という言葉をきいてピンと来たのはそのためだ。
あるものを他の場所に移動する。配置を換える。組み替える。
見回してみれば、ヒトは他の動物に較べ、その術に長けている。
火も、道具も、もっといえば言語も、組み替えによって常に新たなものを生みだす。
それらはそうやってつくられたし、また、そのように使われる。
その「組み替え」そのものはもちろん、人間だけがやっていたのではない。
微生物だって常にやっているし、もともと分子の化学反応だって組み替えで、常に組み替え組み替えしながら世界は進んで来た。
ただ、やはりヒトという生き物が出てくると、その交換の量、スピードに革新が起きた。
二足歩行で手に入れた便利な「手」。
環境内のモノの交換がとてつもなくダイナミックになった。
運んで、つくって、使う。
積極的に、組み替える。
それが人と動物との最大の「違い」なのではないかと思う。
また、「言語」は別種の問題とも捉えられているけれど、そこにも同じ原理があるように感じられる。
それは、情報の交換の加速(質、量ともに)に向かっているような気がする。
少ない要素でより速く、より多く、より濃く。
より多くのことが出来るように。

「運ぶ」

重要かもしれない。
自分の脳内議題に加えよう。
# by gu3i | 2009-11-11 01:18 | memo
raster-noton
raster-notonにAoki Takamasaが登場していた。
同じような方向性だし違和感はないのだけれど自分にその組み合わせの発想がなかったためにちょっと驚いた。
http://www.raster-noton.net/
# by gu3i | 2009-11-10 23:51 | memo
メモ帳
パウル・クレーの造形行為についての考察
「たとえば、点は動いて線となる。とすれば、それには時間の経過が必要である。線画面を生み、面が動いて空間を形作るのとおなじことである。絵は何の関連も経過もなく、突然に成立するものだろうか。いや、そうではない。...(中略)...時間こそ造形活動の場となり、運動こそ造形の性格を決定するものなのである。ただ運動それ自体、死んだ点だけが無時間的だ。」『造形思考』

 「時間こそ造形活動の場となり、運動こそ造形の性格を決定するものなのである」

///

「五大にみな響きあり
 十界に言語を具す
 六塵ことごとく文字なり
 法身はこれ実相なり」

「内外の風気わずかに発すれば、必ず響くを名づけて声というなり」(空海)

―万物は「空」である。空ではあるが、風気わずかに発すれば「声(ショウ)」となり、そこには必ず「文」がある。そこには必ず「情報」が乗っている。空、あるいは無も響くことで文になる。文は関係と運動の中にある。

対称性の破れ ... 空(無)からの量の発生

///

「般若心経」(インドの「空」の思想)
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
(シャーリプトラよ、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず)
是故空中 無色 無受想行識
(この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく)

///

「もともとマンダラの原語 mandala には輪円、聚集、発生、壇上、極上無比の味、醍醐味、充足などのいろいろの意味があるとされている。宮坂宥勝博士の定義では、「特定の宗教的人格を主体とした聖なる場」がマンダラである。そのマンダラは仏教以前から、『マハーバーラタ』では区分や仲間の意味として、パーリ語聖典では円の輪の意味として、またインダス文明からの流れでは絶妙の醍醐味の意味としてつかわれてきた。これらの用例を総合して推測すると、初期につかわれていたマンダラという言葉には、何か本質的なものを集めこむといったイメージがあったことがみえてくる。単なる本質の集合とということではなく、いわば本質への観相の動機に充ちた参集的示現のことを言っていたようだ。アドホックな集合ではなく、アロリスティクな集合形態である。」(『空海の夢』)

「...マンダラは原寸でないとわからないと実感したものだった。以来、できるかぎり複製であっても原寸のマンダラの前に坐るようにしてきたのであるが、そこで感得されるのは、全体と部分とがほどよく拮抗しあっていること、細部の変化は必ずしも細部の表情を奪っていないこと......等々のまことにホロニックな充足感だった。」

 細部のシンボルはゆれうごいてもその関係性のなかに、しっかりと世界の構造を維持している。いうなればちゃんと「かたち(型)formation」がありつつ、そのかたちを成す部分は微妙にゆれ動く自由さを持ち合わせている。全体はその構図を保ちつつ、部分と「ほどよく拮抗しながら」ゆれている...

「本来は内側の装置でありながら、そこへシンボルを次々におさめこむことができるという異常な装置」
「シンボル参集の場面」

いついかなるときも完全さを欠いた、蠢くフラグメント(断片)の群とその関係の群れの集合体。

「フラグメンタルな感覚とは部分が全体を凌駕することがありうるという感覚である。これは大抵の少年におこっっている。少年は全体物よりも部分品が好きなのだ。もっと分かりやすい例は推理小説にあらわれる。すでにのべたように、われわれは推理小説を読みすすむうちに、いくつもの謎の断片に出会うのであるが、それが終盤、探偵が出てきてすべてをしたり顔でつなげて「全体」をあきらかにするくだりになったとたん、あのどきどきするようなきれっぱしの魅力が一挙に色あせてしまうことを感じている。」

「こうした事例のいくつかを通して私が言っておきたいのは、じつは「知の全体」を標榜しようとすることは意外につまらないことなのだということだ。この警告は「全体」を網羅しようという意図にたいする警告でもあって、それは全世界を支配しようとする帝国主義にも、コングロマリットをめざす多国籍企業にも、敵対的株式取得をめざすITベンチャーにも、またいっさいの知識を記述管理しようとする大学主義にも、知の上部に立とうとする宗教主義にも向けられなければならなかった。」

///

 空海の真言密教は華厳経という「円環」に「覗き穴」を穿った思想。

(華厳)
「認識世界と現象世界の区別がまったくないいう超越状態である。ユンクやパウリのシンクロニシティがあまねく充ちている状態ともいえるだろう。ところが華厳世界はこれが終点ではない。もう一度、精神世界が脱落しなければならなかった。完全なる「物質の自由」という極地であり、意識の微粒子はおろか、彼方からの情報の来臨もない。いったいそんな世界がありうるのかどうか、まったく保証のかぎりではないが、それが華厳の総則挿入の事事無礙法界というものである。」

完全なる「物質の自由」とは、逆に、自由さの完全にない状態、何かを交換する必要がなく、なにも動かない、全てが均質化した「熱死」に近い状態を連想させる。

(空海)
「重重帝網名即身。」

―(スーパー超約)
ありとあらゆる物事の関連性、連関性をイメージしなさい、
重々に張り巡らされたネットワークに想いを馳せ、自分をその中に置きなさい。
―過去も未来も極小のミクロの世界も極大の宇宙の果ても、全てに重々に張り巡らされた切れ目の無い立体的なネットワークの中に溶け込んで合一してしまうような、細部と全体が同時に自己代入を繰り返しながら躍動し、あたかも宇宙的な華が開いていくかの様なホロニックなイメージの渦中にある自分をイメージしなさい。
そうすれば、「身」とは即ち「万物」に他ならない。―

 一個の身体から重々帝網のネットワークへ一気阿世に飛躍するスピード感のせいで、現在進行形の響きが感じられる。「身」といううつろいゆくものが円融無礙の「帝網」に「名即」として関連づけられているために、この「円環」には不思議な「覗き穴」が出来ている。この全体と部分の即時対応のスピードは、「全体と部分とがほどよく拮抗しあっている」マンダラと同じ全体相関性を感じさせる。

空海の「空」は振動している。そこには「文」がある。その文は響きあい、また新たな響きをひき起こす。

///

「自然界には化学元素は100個弱しかない。生命は蛋白質をつくるために20種類のアミノ酸しか必要としないし、DNAのためには4種のヌクレオチドの三個づつの配列、都合64種のコドンを必要とするだけだ。地球上の全生命は、植物、菌類、動物如何を問わず、また細胞生物であれ多細胞生物であれ、遺伝情報の移送をすべて同じかたちの分子構造に基づいて行なっている。」

 歴史の変動を経て地上に生き残ったものは、結果として強く大きな者でなく、より小さく弱いものの「群れ」だった。それはきっと、脆弱さを持つ揺れ動くもの、「フラジャイル」なもので組織されたものが一番「強さ」を持ち得たということなのではないか。常に変化し続ける生命の舞台の上では、小さな部分の変動の自由さを確保しつつ、より大きなものをダイナミックに組織していく手法を得たもの、それが最も生きる力を持ち得た。
小さなスケールの自由度と確立性を両立して確保し、その上で大きな組織化に繋げること。それが「情報の可能性の最大化」を引き出した。有限のリソースの組み替えの繰り返しの中で、生物界はそうしたベクトルを生みだした。

 そして、それを生命史においてもっとも極端に、ラディカルに押し進める上で展開していったものが、人間の脳の大脳皮質とともに発展を遂げた「言語」というシステムなのではないか。最小、最弱の構造を持つ「意味」がふわふわと交配し、今まで見たこともないものを次々と生みだす。ITだのコンピュータだのもその延長線上にある気がする。情報の交配を加速する。

「はじめに現れた生命形態は、申し分なく適応していた。通説どおり進化の意味が適応にあり、生存機会の増大にあるとすれば、より複雑なものに進化することなど無意味なばかりか、誤りとさえ言えるだろう。」(エリッヒ・ヤンツ)

「生きることは一種の狂である」
(白川静)

///

生命にはintensity(強さ)とflagility(弱さ)が同居している。幹と枝。
幹は根に向かい、過去とつながる。枝は未来へ。
それらがひしめき合い、生きた森となる。

ドゥルーズとガタリの言いたかったこと、千の「プラトー」は熊楠の「森」、「ヤマ」の観念に似ていないか。
# by gu3i | 2009-10-25 01:06 | memo
和菓子
HIGASHIYA
http://www.higashiya.com/top.html

///
ほかのお菓子

ゆず手毬
http://www.tadashichi.com/sozai/yuzumaru.html
いちご大福 京みずは
http://www.mizuha.co.jp/fs/mizuha/47

お取り寄せの和菓子
http://allabout.co.jp/gs/wagashi/subject/msub_net.htm
# by gu3i | 2009-10-25 00:04 | memo
顕微鏡
http://sahchan.no-blog.jp/pollen/
http://www.asahi-net.or.jp/~QF7N-ADC/gazou.html
# by gu3i | 2009-10-16 02:21 | memo
シロアリ屋の独り言
http://siroari.blog.so-net.ne.jp/
# by gu3i | 2009-10-13 19:39 | memo
たい焼き
・人形町の「柳屋」(1916年創業) 完
http://www.chuo-kanko.or.jp/guide/shopping/takoyaki/takoyaki_02.html
身が引き締まっており、歯ごたえがある。
あんは上品な味。ちゃんと小豆の味がする。

・四谷の「わかば」(1953年創業) 未了
http://www.246.ne.jp/~i-ozawa/hiyohin.html
・麻布十番の「浪花家総本店」(1909年創業) 未了
http://www.wagashi.or.jp/tokyo/shop/0510.htm
・たい焼き「神田達磨」 未了
http://daruma.root-s.com/
# by gu3i | 2009-10-12 10:59 | memo
路傍の風景
# by gu3i | 2009-09-23 13:51 | memo
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わざわざ人に言うほどでもなく、でもこれちょっと書き留めときたいな、という時に書いてます。主にメモ帳&備忘録として使っております。
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